愛すべき世界

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五十嵐隆の天才性の由縁

昨日はあまりに暇だったので

YouTubeSyrup16gの動画を見てみた。


COPY発売当時高校生だったわたしは、シロップがいたから、無味乾燥の学校生活を乗り切れたようなもので、

ライブに行く日を指折り数えて過ごした。


五十嵐のインタビュー動画が三つほどあがっていて、

インタビュー動画を見たのは初めてだったので

過去の彼に再会するようで、嬉しく思った。


インタビューを見てて思ったのは、

五十嵐は、とても繊細な人間だということだ。

この世界で生きていくには、あまりに繊細で優しすぎて、自分の欺瞞が許せなくて、美しい世界でしか呼吸ができない人だということだ。

今ではHSPという言葉も出てきて、繊細すぎて生きづらい人たちの存在も、一般的になってきたが、当時はアーティストになるか、鬱になるか、メンヘラになるか、表面的に明るいやつになるかしか対処法がなかった。


しかし五十嵐を見てて思ったのは、

彼は本来の自分の姿を否定せず、自然体であるということだ。

自分の感覚に、世界に蓋をせず、嘘をつかず、自分の感じることを素直に音楽に込めて表現し続けたということだ。


ドラムの中畑に、五十嵐さんとはどんな人ですか?という質問に、

神ですね。とマジで答えていた。


誰にも何にも染まらず、自分であり続けた五十嵐は、確かに神だった。

常に自らを変えていって、たどり着けない高みを目指していく様子も、神だった。


そして武道館公演で、

マイノリティーのはずの自分が、

マジョリティーの代弁者になっていたことに気づくのだ。

生きづらい、こんな世界おかしい、狂ってる、

みんなそう思ってたのだ。

どんなに健康そうに見える人も、心に闇をかかえ、孤独だと感じ、救いを求めていたのだ。

そう、シロップは音楽という精神安定剤だった。


俺は正常だ。

狂ってるのはおまえらだ。

健康ってなんだ。

自分を失ってまで。


五十嵐は狂った世界で、自分であり続けた、

心を守り続けた、

自分を追い詰めても、

自分をごまかさかさずに、

ただ

きれいにしか生きられなかった。

この濁った世界で。



シロップは解散後、

2014年から再結成し、

マイペースに活動をしている。

(今年の春からまた活動休止中。)

インタビューで、20年後も音楽をやっていたいと語った五十嵐は、根っからの表現者で、

あの頃とは、

だいぶ世界も生きやすくなってきたこの世界で、今後シロップがどんな音楽を生み出してゆくのか、楽しみだ。


変わってゆくこと、それが希望。

この世界に生きているということそのものだから。